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155号出来! 2021年6月刊行!

季報『唯物論研究』第155号 2021/5

編集・発行 季報『唯物論研究』刊行会

 

梟VS雄鶏 やすいゆたか 脱労働社会化への『資本論』のために

 

河上睦子・山口協責任編集 特集 コロナ禍のなかで「食」を考える

特集リード 河上睦子

「農と食について」

山口 協 コロナ禍の中で考える「農」

徳永裕二 「食と農」を巡って浦田(東方)沙由理 食・農・身体における自然の排除とエコロジーからのとらえなおし

「日々の食(事)について」

木澤夏実 カウンターの内側で書いた、コロナ禍の記録

髙坂 勝 そっち(都会)の食はに~がいぞ、こっち(田舎)の食はう~まいぞ――食は職に通ずる

田上孝一 動物倫理学からする食の規範……()

「食の世界」について

河上睦子 コロナが変える「食」の世界――「いのちと経済」で揺れる「食の思想」を考える

亀山純生 日本仏教における食の思想の基本視座――中世における不殺生戒の日本的展開を介して

石塚正英 ギュウバトン――文化で食べる・文化を食べる

檜垣立哉 食べることの自然――レヴィ=ストロース『神話論理』瞥見

 

論文

永井 務 反民主主義のアメリカ白人産業労働者

橋野高明 障害の受容と神学――障害者・牧師の場から(下))

立花 晃、井関 崇博、岡元 明希 二次創作市場の構造と創造的自律空間の形成に関する考察――コミックマーケットを事例に(下)

 

yuiken交差点

平等文博 154号特集「21世紀の尊厳論を問う」論評

三室 勇  落合祥堯さん追悼                       

義積弘幸「私の『未成年』論―激動のロシア史の一齣―第三部「第十三章エピローグ」を読む(最終回)

 

書評

武田信照 斉藤幸平『人新世の「資本論」』

木村倫幸 中村敏子『女性差別はどう作られてきたか』

室伏志畔 西村好子『やさしい漱石』不知火書房

 

 

編集後記(山口 協)

154号 2021年2月

154号目次                         

梟VS雄鶏巻頭

室伏志畔 固有名詞の迷宮

 

特集 21世紀の尊厳論を問う 

最首 悟 間学の軌跡

久保下多美子 マイノリティーの尊厳を考える

木村倫幸 人間の尊厳・権利と無戸籍者問題

牧野広義 人間の尊厳と個人の尊重

豊田剛 カント「尊厳」論の構造と意義

藤田隆正 尊厳の哲学

田畑稔 歴史的アプリオリまたはアプリオリの歴史化について・覚書

 

論文その他

木村勲 幸徳ら全刑死者の冤罪を証す――法理に悖る大逆と平出修の怒り

服部健二 類概念と対象的存在の論理―シュティルナー・フォイエルバッハ論争の考察―

橋野高明 障害の受容と神学-障害者・牧師の場から-(中)

立花 晃、井関 崇博、岡元 明希 二次創作市場の構造と創造的自律空間の形成に関する考察

――コミックマーケットを事例に(中)

 

yuiken交差点

高田純 153号特集「コロナ危機特集」論評 

〇室伏志畔 奥野正男追悼

〇義積弘幸 私の『未成年』論―激動のロシア史の一齣―第三部・第七章を読む(第10回)

 

書評

平井一臣 大藪龍介『日本のファシズム――昭和戦争期の国家体制をめぐって』

 

木村倫幸 河合洋尚『<客家空間>の生産――梅県における「原郷」創出の民族誌』

153号出来! 2020年12月刊行!

153号目次

VS雄鶏

村山章「『<現在>という謎』について」

緊急特集「我々はコロナ危機から何を学ぶべきか」

リード(田畑)

I

柏井宏之「「コロナ災害」が生んだ新しい主体――共生の社会的協同組合に向かって」

永井務「新型コロナウイルス感染症とトランプの反知性主義――反リベラリズムと反近代の帰結」

丸山茂樹「政治権力vs市民のアソシエーション―管理社会化への道か、自主管理・社会的連帯への道か?」

和田龍三「新型コロナウイルスと公共」

松田博「「新型コロナ問題」とグローバル危機についての覚書」

II[エッセー]ポイント落とす

武田信照「新型コロナ禍雑感」

荒巻共三「豪雨災害とコロナ禍と――この7月に豪雨災害があった大牟田の一市民より」

佐野米子「「コロナ禍」に思う」

吉田智弥「「自助」と「自粛」は真逆の関係」

津田道夫「PCR検査の怪」

柴田隆行「我々はハンセン病から何も学ばなかった」

三上晋「何をなすべきか・そしてそれを成し遂げたいか――コロナ危機における主権者として」

木村倫幸「コロナ禍と《「人災」、「殺すな」、「われ=われ」》──4半世紀前の小田実の視点を手がかりにして考える」

神谷光信「コロナ禍の日本を照射する小説――エドガー・アラン・ポー「旋渦に吞まれて」」

木村勲「紅海は善意で割れた――愛蘭(アイルランド)路の奇跡 及びその男のこと」

III

島崎隆「コロナ禍において思想をいかにつむぐのか――ジョルダーノ『コロナ時代の僕ら』を読む」

内藤酬「自然に対する支配の終わり――自然災害・原発事故・感染症」

境毅「新型コロナ後の知とは――ラトゥールの政治思想に学ぶ」

矢板進「<共同性>をめぐって―新型コロナをきっかけに」

石塚正英「コロナ禍にみる呪術的闇と科学的闇―フレイザー『金枝篇』を参考に」

徳永裕二「「剥ぎ出しの生」の下での「コロナ禍」――「我-我」は何処に居るのか」

石崎嘉彦「パンデモス・エロスにどう向き合うか?」

yuiken交差点

藤岡寛巳「152号特集「中間総括・市民社会論論争」論評」 

書評

立花晃 吉原直樹 ・榑沼範久編『都市は揺れている――五つの対話』

 

斉藤日出治 村岡到『左翼の反省と展望社会主義を志向して60年』

152号

梟VS雄鶏巻頭

 

田畑稔 2020年パンデミックと「生活過程論」

 

特集「中間総括・市民社会論論争」

 

特集リード(田畑)

恒木健太郎 「資本主義と市民社会」の戦中と戦後

       ――大塚久雄の問題意識の連続と断絶

寺島俊穂 松下圭一の視点――市民社会論に寄せて

藤岡寛己 「市民社会」は可能か?――羽仁五郎『都市の論理』を読む

斉藤日出治 〈総過程的概念としての政治〉の発見―平田清明の市民社会論再考

村上俊介 市民社会論と近代-山之内靖の「反近代」と望月清司の「近代」

平子友長 望月清司氏のマルクス市民社会論批判(下)

高根英博 外部と土着、そして市民社会

松田博 グラムシ「未完の市民社会論」についての覚書

植村邦彦 その後の「市民社会」論

塩田潤 2010年代におけるラディカル・デモクラシーの実践的理論的展開

 

論文その他

 

柏井宏之 実践的市民運動踏まえアジアの協働へ――『西暦二〇三〇年における協同組合』を編んで

室伏志畔 日本書紀成立から千三百年「日本書紀の誤読」の向こう側 ―簒奪皇統論―

 

yuiken交差点

 

捧堅二 151号特集「生きる場から考える生と死」論評

 

書評

川本隆 柴田隆行『連帯するエゴイズム―いまなおフォイエルバッハ』

    石塚正英『フォイエルバッハの社会哲学――他我論を基軸に』

島崎隆 ケヴィン・アンダーソン『ヘーゲル弁証法とレーニンの哲学的両義性

 

    ――西欧マルクス主義への可能性の探究』

 

151号

巻頭エッセー 梟VS雄鷄 河合洋尚 微信(WeChat)時代の中国と人類学

 

特集「生きる場から考える生と死」

リード 平等文博

重久俊夫 一人称の死を考える

久保下恵美子 がん患者として自らの生と死を考える  

稲岡義朗 死を物語ることについての対話

村山章 生と死と断捨離と

藤田隆正 生活者の視点からみた生と死 戸坂潤と中村哲をつなぐもの

小谷静良 老聖75歳の終焉、死ぬまで戯れ遊び尽す命

橋野高明 障害の受容と神学-障害者・牧師の場から-(上)

善積弘幸 エッセイ・人生の探求

徳永裕二 「人身御供」をめぐって

高根英博 恐怖の死、人知れずの生、殺戮・戦争

 

論文

永井務 典型的ナルシシスト・トランプ大統領を支持する白人産業労働者

服部健二 フォイエルバッハの弟宛て書簡について―シュティルナーとの論争解釈史についての混乱

島崎隆 マルクスによるヘーゲル批判の再読(完)

 

Yuiken交差点

成田大起 150号特集「アクセル・ホネットと現代社会理論」論評

福田玲三 柴山健太郎追悼 在りし日の柴山健太郎氏

木村倫幸 死刑制度廃止の議論を今一度──北欧ミステリーを一つのてがかりに

 

書評

植村邦彦/武田信照 書評 伊藤・大藪・田畑編『二十一世紀のマルクス――マルクス研究の到達点』

百木漠 寺島俊穂『ハンナ・アレント再論――〈あるべき政治〉を求めて』

銘苅千栄子 綾目広治『述志と叛意――日本近代文学から見る現代社会』

 西村好子 神山睦美『終わりなき漱石』

150号

149号 2019年12月刊行

149

 

VS雄鶏

稲岡義朗 石牟礼道子―苦しむ人 

 

特集1 徹底討論:道徳教育を問い直す

特集リード:木村倫幸

 

桂正孝 「特別の教科 道徳」の実施をどうとらえたか――「少国民」世代の実感録から

土屋貴志 日本国公認学校道徳教育と人権教育

      ——「特別の教科 道徳」で人権教育が行えるわけ

森実 唯物論と道徳教育

 

奥野康孝 「信教の自由」と「君が代」と「道徳」

渡辺厚子 「日の丸・君が代」と教育勅語 

 

相可文代 道徳の「教科化」と道徳教科書

木村倫幸「道徳教科書」と「悪」と「こころ」

平等文博 「道徳」教育と「てつがく」教育

桜井智恵子 資本制社会が求めた道徳教育

細谷実 道徳教育とシティズンシップ教育

脇田愉司 道徳哲学・道徳教育思想を読み解く―ルソー思想の本源から

 

 

特集2 世界の〈今〉を読む:この一冊(Part2

矢板進 斉藤斎藤『人の道、死ぬと町』

    -<死>をいかに詠むか:東日本大震災への終わらない問い

木村倫幸 赤坂真理『箱の中の天皇』

徳永裕二 室伏志畔『誰が古代史を殺したか』

 

論文

平子友長 望月清司氏のマルクス市民社会論批判」(上)

大藪龍介『ブリュメール18日』をどう読むか」(上)

長島功 初期マルクスのスターリン主義的解釈の典型

       -原田実『労働の疎外と市民社会』に見る

立花晃 井関崇博 岡元明希 二次創作市場の構造と創造的空間の形成に関する考察

 

書評

隅田善四郎 森信成『唯物論哲学入門』増補版 

 

室伏志畔  添田馨『クリティカル・ラインー詩論・批評・超=批評』

 

148号!8月刊

148号目次

雄鶏VS

木村勲「令・和とは跪(ひざまず)いて上意を承(うけたまわ)ること――いま共和制を話すとき」

特集「世界の〈今〉を読む:この一冊」

どこへ

松田博 U・エーコ『永遠のファシズム』原1997、岩波書店、1998、岩波現代文庫2018

――「異端審問と同調圧力」の源流への視線

形野清貴 シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』原2018、山本圭・塩田潤訳、明石書店、2019――今日の世界と左派ポピュリズムの可能性

伊藤晃 シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』原2018、山本圭・塩田潤訳 明石書店、2019――複数主義的な相互関係において運動を作るとはどういうことか

細谷実 バーナード・クリック『シティズンシップ教育論――政治哲学と市民』原2000、法政大学出版局、2011――政治の復活とその手続き的価値の教育のために

綾目広治 スラヴォイ・ジジェク『ポストモダンの共産主義―はじめは悲劇として、二度目は笑劇として』原2010、栗原百代訳、ちくま新書――二一世紀の革命論

アメリカと中国

永井務 T.メイヤー『アナリティカル・マルクスシズム』原1995、瀬戸岡紘訳、桜井書店、2005――共和党のアイデンティティー危機について

小嶋康生 グレン・グリーンウォルド『暴露:スノーデンが私に託したファイル』原2014、田口俊樹、濱野大道、武藤陽生訳、新潮社、2014――丸裸にされた日本

柴山健太郎 李鋭『中国民主改革派の主張――中国共産党私記』小島晋治編訳、岩波書店、2013――中国共産党の活路を示す好著

石塚迅 胡平『言論の自由と中国の民主』原1975、石塚迅訳、現代人文社、2009

―――1989年が問いかけるもの

日本

島崎隆 矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』集英社インターナショナル、2015――日本を真に変革するための政治的・歴史的問題として

白川真澄 井手英策『幸福の増税論――財政は誰のために』岩波新書、2018――日本の左派の常識にあえて挑戦する

和田龍三 中尾茂夫『日本が外資に喰われる』筑摩書房、2019――「失われた三〇年」をつくり出した外的要因とは何か

柴田隆行 山本義隆『近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻』岩波新書、2018――何のための研究か

銘苅千栄子 上間陽子『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』太田出版、2017――フェンスのオレンジ色の光 その向こうの闇

柏井宏之 辛基秀・柏井宏之編『秀吉の侵略と大阪城―ちょっと待て!「大阪築城400年まつり」』第三書館、1983――辛基秀さんの3つの工房から生まれた民衆文化運動

世界歴史

武田信照 D.ハーヴェイ『資本主義の終焉』原2017、作品社、2017―-体制変革と環境問題

内藤酬 入江昭『歴史家が見る現代世界』講談社、2014――「国家の歴史」から「世界の歴史」へ

西田照見 中村哲『東アジア資本主義形成論』汲古書院、1994──歴史認識の省察

丸山茂樹 ラナジット・グハ『世界史の脱構築』原1998、竹中千春訳、立教大学出版会、2017――サバルタン視点から世界史と現代文明をトータルに問い直す

村山章 レイ・カーツワイル『ポスト・ヒューマン誕生』原2005、NHK出版、2007――関数モデルとしての「人間+&」たちの適応生活

その他

河上睦子 安井大輔編『フードスタディーズ・ガイドブック』ナカニシヤ出版、2019

――食研究において、なにを考えるべきか

石塚正英 鈴木勉『三角縁神獣鏡・同笵(型)鏡論の向こうに』雄山閣、2016 ――文化表象論で未来の社会思想を構想

吉田智弥 ミシェル・ウェルベック『服従』原2015、河出書房新社、2015――解放を求めて自己を裏切る

小野正嗣 木庭宏『ハイネの見た夢』NHKブックス、1994――「経帷子(きょうかたびら)を織ってやる」

鷲田小彌太 山本夏彦『わたしの岩波物語』文藝春秋 1994――正義だけは売ってはいけません

論文その他

石崎嘉彦 プラトンの民主制批判(下)

藤田隆正 マルクス倫理学構築宣言――倫理学批判要綱(3)

Yuiken交差点                                                               

松田博「追悼 高嶋正晴氏」

佐野米子「本誌147141頁について一言」

神谷光信「井上光晴と二つの東京オリンピック(下)」

義積弘幸 「私の『未成年』論―激動のロシア史の一齣――第三部を読む(第8回)」

書評

奥間埜乃 向井豊昭『骨踊り』

森田弘造 田中邦夫『漱石『道草』の詩学』

147号!

梟VS雄鶏 平等文博 生きる場から考える生と死

特集 ポピュリズムの展開と大衆論の再審

 

特集リード 田畑

塩田潤 左派ポピュリズムと社会運動

松田博 ムフの「左派ポピュリズム」論についての若干の感想

永井務 ポピュリズムと民主主義――J.デューイの視点から――

杉村昌昭 ポピュリズム雑感――状況論的に――

石崎嘉彦 プラトンの民主制批判(上)

百木漠 アーレント、マルクス、ポピュリズム

尾場瀬一郎 グラムシ民間伝承論のアクチュアリティアクチュアリティ

      ――欧米における右派ポピュリズム勢力の台頭を背景にしてアクチュアリティ――

 

木村倫幸 小田実と『人びとの運動』

室伏志畔 ポピュリズムと天皇制――敗戦体質論――

 

論文その他

島崎隆 マルクスによるヘーゲル哲学批判の再読(中) 

 

Yuiken交差点

木村倫幸『日本人と〈戦後〉 書評論集・戦後思想をとらえ直す』をめぐって

木村倫幸

書評Ⅰ 綾目広治

書評Ⅱ 和田龍三

書評Ⅲ 室伏志畔 搦め手書評からする戦後論 

 

隅田善四郎 本誌146号 白川、松尾、宇仁論文を読んで

後藤裕司 政権を担う覚悟を問う

 

神谷光信 井上光晴と二つの東京オリンピック(中)

 

書評

宮田惟史 大谷禎之介『資本論草稿にマルクスの苦闘を読む』

高田純 大田孝太郎『ヘーゲルの媒介思想』 

川島祐一 やすいゆたか『天照の建てた国 日本建国12の謎を解く 万世一系の真相』

徳永裕二 岸田秀『唯幻論始末記――わたしはなぜ唯幻論を唱えたのか』

146号

146号目次

巻頭エッセー 

藤田隆正 生活者からみた生と死

特集 資本主義は今:経済学者たちに聞く

白川真澄 リーマン・ショックから10――何が変わったのか

松尾匡 レフト3.0の体制変革展望

宇仁宏幸 JR・コモンズの制度経済学の哲学的基礎

梁峻豪 韓国の原州市事例からみた「社会的連帯経済」の条件と可能性

津田直則 社会的連帯経済論における経済体制と文明

 

論文その他

本多正也 アイヌ民族の近現代史が問うものは何か(下)

三上晋 君たちはなぜそして何を学ぶか           

 

▼Yuiken交差点

高根英博 戦後二度目の新元号に人間としての道義をただす!

室伏志畔 元号論に一矢」5707字+表

保井温 哀しみのパトス、梅原猛を追悼する

神谷光信 井上光晴と二つの東京オリンピック

鈴木正 亡き鶴見俊輔さんへの思慕

義積弘幸 私の『未成年』論激動のロシア史の一齣第三部を読む(第7回)

書評

日野範之 竹内栄美子・丸山珪一編『中野重治・堀田善衛往復書簡1953-1979

川島祐一 石塚正英『マルクスの「フェティシズム・ノート」を読む』

小林昌人 日山紀彦『価値と生産価格:社会的物象化論を中心にして読み解く』

石塚正英 徳永裕二『外道曼荼羅』『不実考』

金子遊 神山睦美『日本国憲法と本土決戦:神山睦美評論集』

145号

145号目次 

●巻頭エッセー

木村倫幸 「民主主義・平和・個の死の意味」とミステリー

●特集 マルクス生誕200年:マルクスと21世紀の現実展開

武田信照 マルクス・マルクス主義と現代――E.ホブズボームの遺著によせて

尾関周二 晩期マルクスと小農問題現代の「労農アソシエーション」に向けて

榎原均 新しい大きな物語を紡ぎだそう――負債経済論を切り口に

石塚正英 マルクス左派の超家族論」12919

斎藤日出治 商品世界と死の欲動――フロイトで読むマルクス

永井務 世界公民とフェミニズム—―普遍的正義と女性的配慮

島崎隆 マルクスによるヘーゲル哲学批判の再読(上)

橋本剛 マルクスの提起した〈人類史的課題〉の現在性

柴田隆行 フォイエルバッハから学んだマルクス、フォイエルバッハから学ばないマルクス研究者

小野正嗣 教育者自身が教育されねばならない――フォイエルバッハ・テーゼに寄せて

渡辺憲正 マルクスの〈労働゠所有形態〉論

松田博 グラムシとマルクス『獄中ノート』におけるマルクス論の形成と展開

小原耕一 グラムシはマルクスをどう読んだか?

●論文その他

百木漠 解題『アーレントのマルクス』——寺島・斎藤両先生の批判に応えて

藤田隆正 マルクス倫理学構築宣言――倫理学批判要綱」(3)                  

Yuiken交差点

義積弘幸 私の『未成年』論激動のロシア史の一齣第三部を読む(第6回)

●書評

徳永裕二 大和岩雄『中臣・藤原氏の研究:古代日本国家論』

144号

140号

139号

グラムシ没後80周年記念フォーラムが開催されます。季報『唯物論研究』編集長田畑稔の記念講演を予定しています!

138号

137号

季報『唯物論研究』137

VS雄鶏 

米倉克良「万国津梁型協同組合の可能性」

特集「今、思想に問われているもの:思想の現在、思想家たちの現在」

リード(田畑稔)「今、思想に問われているもの:問題提起」

 

百木漠「超現実主義の時代」

丹羽淳貴「内田樹にご用心」

 

内藤酬「戦後社会への呪詛――清水幾多郎と保田与重郎」

和田龍三「反原発の思想」

綾目広治「思想の現在柄谷行人とアソシエーション論」

境毅「共産主義のリニューアル」

 

村山章「思考と思想について考える」

吉田智弥「「慰安婦」問題に関する可逆的な論争を」

松田博「随想 グラムシ思想の探究によせて」

 

添田馨「反知性主義クーデターに抗する存在について今上天皇と〈象徴存在〉」

神山睦美日本国憲法と本土決戦(上)」

森田弘造「正木ひろし その思想と軌跡━戦時期の個人誌『近きより』に即して」

室伏志畔「方法としての谷川雁」

 

島崎隆「アドラー心理学の流行」

 

論文その他

対談:百木漠×中川寧越「余暇の未来」はどこにあるのか

書評 

中川寧越 細谷実[編著]中西親太郎、小園弥生[著]『仕事と就活の教養講座』

新刊案内

大塚忠広 横田三郎『現代人権教育の思想と源流~横田三郎コレクション』

誤植訂正のお知らせ137号のP83に誤植がありました。

P83、上段最終行から下段1行目(ピンクで示しました)、下欄で訂正しました。

訂正して、お詫び申し上げます。

                  

                  

 

         正

[ニュース]137号で執筆していただいた添田馨さんの本が緊急出版されました!

      ご注目を!

136号

134号出来!3月発刊!

2014年/8月発行の特集「若者の現在」に続く、中川寧越+百木漠による責任編集号出来!新進気鋭の論客による特集「私の余暇論」です。

133号出来!

133号 英文!

133号 目次!

誤植訂正のお知らせ133号のP40に誤植がありました。

木村勲●君死にたまふことなかれ、幻想

P40、下段12行目

 

 

 

 

[誤]全く問題にならなかった「自宅問答」…

  ↓

[正]全く問題にならなかった(「自宅問答」…

 

訂正して、お詫び申し上げます。

133号の目次ページに一部文字のつぶれがありました。

 

正しいページ画面は上記の目次画面です。

 

お詫び申し上げます

132号出来!🔴最近の刊行物から111〜 にて案内!

15年5月 131号

15年2月 130号

14年11月 129号

14年8月 128号

14年5月 127号

14年2月 126号

本誌125号に書評(神山睦美著『希望のエートス』)

執筆していただいた岡和田晃氏のブログに
本誌の案内があります。
のぞいて見て下さい!
 

13年12月 125号

124号!

2013年夏季シンポ、盛況のうちに終了しました!感謝!

123号完成! 内容は、「最近の刊行物から」欄にて案内!

開催終了しました

 

2012年秋、10月21日

「唯物論研究会80周年 記念集会」を開催します。

場所は来年で閉鎖される可能性が高い尼崎労働福祉会館です。

戦前の唯物論研究会の全体像はまだ掌握されていない!

新鋭の研究者が、その提起をします。

さらに、われらが山本晴義先生に戦後の唯物論研究会の運動の貴重な証言を

あらためて語っていただきます。

戦後の初期からその運動を担ってきた先生へインタビューします。

さらに現代的課題を出席者の方に語っていただく場にする予定です。

多くの人の参加を呼びかけます!

 

 

 

 

本誌は1982年に創刊された。2011年で30年目になる季刊の思想誌である。

 

―― 一言でその基本性格を言えばどうなるのだろう。

 

「思想のためのインディペンデントなメディアだ」というところか。

 

―― この思想誌は何を筆者に求め、何を読者に届けたいと願っているのだろう。

 

1)何よりも、現代の世界(生活世界と歴史世界と自然世界)が直面している課題に、根本的な分析と実践的な呼びかけで立ち向かおうとする思想の営みを伝えたい。

 

2)また、哲学的ジャーナリズムを、つまり我々の時代の社会意識や思想の諸形態に対する鋭い、しかし同時に深い批判を伝えたい。

 

3)そしてもちろん、過去のすぐれた思想を再読し、その現代的意味を鮮やかに読者に語る思想史研究の仕事を伝えたい。

 

―― この思想誌はどのようなスタイルで討論や共同研究や編集を進めたいと考えているのだろう。

 

1)まずは「一枚岩」的なあり方を拒むということだ。立場や専門や世代の多様性を、むしろ積極的に生かす形で、知的な協同と真剣な相互批判を行いたい。

 

2)それから、生活の場と哲学の緊張関係、実践現場と思想の対話というものを重視したい。

 

3)もう一つ大切にしたいのは、自分たち自身の共同の力でインディペンデントな思想メディアを立派に育ててみせるという姿勢である。

 

21世紀は人類史の曲がり角という様相を呈している。本当の意味でラディカルな思想が求められている。心ある人々とともに、これからも本誌は挑戦し続けたい。

購読、執筆、そして会員への参画をよびかける。