バックナンバー総目次1号~12号(第1回合本に収められています)


第1号 一九八一年四月二〇日


創刊にあたって 山本晴義(1)

現在の反動思想―清水幾太郎批判 山本晴義(2)

カントと唯物論(1)田畑 稔(9)

書評 唐渡興宣『資本の力と国家の理論』 鷲田小彌太(12)

イデオロギーの現状について・覚え書き     田畑 稔/鷲田小彌太(14)

編集後記 笹田利光(23)

 

第2号 一九八一年七月二〇日

 

特集 マルクス主義哲学の史的対自化史的唯物論の理論的対象化のために(1)

序章 マルクス主義哲学の党派的名辞―「弁証法的唯物論と史的唯物論」―について 鷲田小彌太(1)スターリンとマルクス主義哲学―ソヴェト哲学史素描  山本晴義(8)

研究ノート 一九二〇~三〇年代のソヴェト哲学論争とスピノザ評価  平等文博(17)

要約紹介 物質の哲学的概念の現段階(上) H・コルヒ『マルクス・レーニン主義の物質観』をめぐって 田畑 稔(20)

編集後記 笹田利光(24)

 

第3号 一九八一年一〇月二〇日

 

 特集 物質の哲学的概念「物質の哲学的概念」特集にあたって 田畑 稔(1)

カントの物質概念―カントと唯物論(2) 田畑 稔(2)

唯物論から観念論へ?―或る〈レーニン批判論〉に寄せて 笹田利光(11)

メリューキン「弁証法的唯物論の物質概念」より 田畑 稔(17)

廣松渉・物象化論における「物」把握批判 保井 温(18)

要約紹介・物質の哲学的概念の現段階(下) H・コルヒ『マルクス・レーニン主義の物質観』をめぐって 田畑 稔(25)

編集後記 鷲田小彌太(28)

 

 

第4号 一九八二年一月二〇日

 

特集 日本マルクス主義哲学史への証言日本の唯物論とその伝統(1)―秋沢修二氏に聞く  編集部(1)

私のプロレタリア文化活動時代(1) 舩山信一(8)

著者が語る 社会的労働論再考―『物神性の解読』上梓によせて 高橋洋児(16)

編集者への便り 飯島宗享(17)

一九三〇年代論考・序章 山本晴義(18)

編集後記 田畑 稔(24)

 

第5号 一九八二年四月二〇日

 

シンポジウム・現代イデオロギー分析報告1 転換期と歴史意識の諸形態 田畑 稔(1)

報告2 ポーランド問題・分析 平田 研(10)

報告3 「日本人論」批判・再論 山本晴義(15)

報告4 現代日本の青年と「感覚主義」の間題 木村 理(20)

フランス革命後のカントの社会思想 二本柳隆(25)

編集後記 山本晴義(32)

 

第6号 一九八二年七月二〇日

 

特集 マルクスの唯物論唯物史観と生産力の体系構想(上)―史的唯物論の対象化のために(5) 

鷲田小彌太(1)

マルクスにおいて「唯物論」は何を意味したか  田畑 稔(9)

要約紹介 『聖家族』におけるマルクスと唯物論 O・R・ブロック「マルクス、ルヌーヴィエと唯物論史」 平等文博(20)

「西欧マルクス主義」とエンゲルスの一齣 ―セバスティアーノ・ティモパナーロ『唯物論』の紹介にかえて 黒沢惟昭(24)

討論 現代日本の実践的唯物論について―岩佐茂「哲学の根本問題と歴史把握」批判 玉川一彦(29)

一頁エッセイ・ただ今の知的関心―「新世界史論争」 鷲田小彌太(32)

唯物論と経験論 柿岡時正(33)

編集後記 山本晴義(40)

 

第7/8合併号 一九八二年一一月二〇日

 

特集 日本唯物論研究会結成五〇周年日本唯物論研究会結成五〇周年にあたって  編集部(1)

「戦闘的無神論者同盟」と「唯物論研究会」―秋沢修二氏に開く(2)  編集部(3)

戦前、戦後の唯物論研究 山田坂仁(16)

私のプロレタリア文化活動時代(2) 舩山信一(26)

編集者への便り 柿岡時正(33)

ソ連における反宗教=無神論闘争―日本戦闘的無神論者同盟成立前史稿 本村四郎(34)

戦前『唯物論研究』における党派性論争の意義について 藤田友治(36)

著者が語る 精神医学と弁証法―『精神医学と哲学の間』論創社刊 小西祐一(44)

現代日本精神の一齣―第1部 一九二〇年代論 山本晴義(46)

編集後記 田畑 稔(56)

 

 

第9号 一九八三年四月二〇日

 

特集 現代日本の教育イデオロギー右からの戦後教育批判の論理 笹田利光(1)

教育に付するイデオロギーの関係 田畑 稔(12)

教育運動の思想的課題 平等文博(18)

現代教育の基本概念1 人格    鷲田小彌太(22)2 能力主義 雨宮照雄(23)3 学歴主義 川口 章(25)4 校内暴力 保井 温(27)5 管理主義 藤田友治(28)

日本マルクス主義教育思想の潮流 黒沢惟昭(31)
自著補註 マルクス主義哲学論究の二困難―『唯物史観の構想』  鷲田小彌太(34)

大阪唯物論研究会哲学部会研究日誌(一九八〇年~八三年四月)(36)

編集後記 田畑 稔(36)

 

第10/11合併号 一九八三年九月二〇日

 

特集 マルクス死後一〇〇年マルクス死後一〇〇年に際して 編集部(1)

唯物論へのマルクスの移行 田畑 稔(3)

マルクス「百年」記念にかんして 大井 正(19)

マルクス死後百年をめぐる特集雑誌の論調紹介と若干の論評―マルクス主義の危機  鷲田小彌太(25)

マルクス労働論の新展開 川口 章(31)
書評 内山節『労働の哲学』 渡辺 謙(37)

プロレタリア無神論者インターナショナル ―IPF内部抗争と分裂(日本戦無成立前史稿2) 本村四郎(40)

日本語に「無主語文」は在るか、在り得るか―パロール言語学根拠論試論灰野昇三(48)

私のプロレタリア文化活動時代(完) 舩山信一(53)

編集後記 山本晴義(62)

 

 

第12号 一九八四年一月三〇日

 

特集 構造主義とその周辺記号論・構造主義批判ノート 山本時義(1)記号学と認識論―二、三のメモ 山田坂仁(14)

G・バシュラールと〈瞬間〉の形而上学 笹田利光(20)
唯物史観の解読―その可能性の所在 岡林 茂(25)

新刊紹介 ドブロリューボフ『闇の王国の中の一条の光』 伊藤季夫(31)

新刊紹介 鷲田・田畑・笹田編著『現代日本の教育イデオロギー』 荒川仁一(32)

書評 鷲田小彌太『哲学の構想と現実―マルクスの場合』 藤田友治(34)

書評 大井正『家族・市民社会・国家』 保井 温(36)

スピノザの実体概念 平等文博(37)

編集後記 田畑 稔(44)

 

 

 

 

バックナンバー総目次13号~24号(第2回合本に収められています)

 

第13/14合併号 一九八四年七月二〇日

 

特集 物質概念の新展開物質の哲学的概念について・覚え書き 田畑 稔(1)

意識の存在論と物質概念(上) 中野徹三(12)

情報の概念について―プログラマーからの手紙 山輝和章(20)

研究資料1 東独における物質概念論争    フリッツ・ゲールハール(27)

研究費料2 ギリシャ・中世哲学における物質概念  アーナン・マクミュラン(32)
書評『現代日本の教育イデオロギー』 清原正義(36)

大阪唯物論研究会哲学部会研究日誌(一九八三年五月~八四年五月) (38) 新刊一覧 (38)

マルクスのアジア観―アジア的生産様式論争批判 藤田友治(39)

続・唯物論と経験論 柿岡時正(46)

編集後記 平等文博(52)

 

第15号 一九八四年一〇月三〇日

 

特集 現代思想史研究の現況日本のルカーチ 丸山珪一(1)

現代の思想史―ハイデッガー(1) 山本晴義(7)

身辺雑観 大井 正(17)

フォイエルバッハとマルクス及びヘーゲル(上)―人間学的唯物論のために舩山信一(22)

「教育臨調」と「新保守主義」の展開―「教育臨調」のイデオロギー的特徴Ⅰ田畑 稔(27)

唯物史観と「国家」カテゴリー 鷲田小彌太(30)

編集後記 平等文博(36)

 

 

第16/17合併号 一九八五年二月二五日

 

特集 シンポジウム・現代日本の宗教イデオロギー

報告1 宗教「回帰」現象とその意味 平等文博(1)

報告2 分析のためのいくつかの視点 田畑 稔(7)

報告3 日本マルクス主義無神論史序論 本村四郎(19)

発言 最近の宗教現象について思うこと 秋沢修二(27)

宗教における苦と罪の区別 大井 正(31)

書評 『永田広志研究資料』第五集 笠井 忠(35)

書評 舩山信一『私の哲学六〇年――人間学的唯物論への道』 藤田友治(38)

《批判1》前口上・批判のスタイル    鷲田小彌太(40)

研究資料・カール・フォークトは思惟を脳の分泌物と考えたか ディーター・ヴィッティヒ(42)

労働疎外の精神的側面 川口 章(44)

フォイエルバッハとマルクス及びへーゲル(下)―人間学的唯物論の為に舩山信一(50)

編集後記 笹田利光(56)

 

 

第18号 一九八五年七月二〇日

 

特集 再び現代日本の宗教状況を論ず「Xデー」状況下の天皇制 藤田友治(1)

座談会「新・新宗教」を斬る―「統一協会」「阿含宗」「真光」など   笹田利光/平等文博/田畑稔(6)

読者の便り 安田 進(18)

ユングと仏教―「深層心理学」と宗教 山本晴義(19)

プログラマーからの便り(1)ソフトウェアQCに思う 山輝和章(24)

《批判2》新・岩波講座『哲学』―「住みこみの船大工」    鷲田小彌太(26)

著者インタビュー『思想史の現在』   山本晴義/聞き手・田畑 稔(28)

書評 鷲田小彌太『イデオロギーの再認―文化の総体理論に向けて』堀川 哲(30)

「人間」カテゴリーについて 保井 温(32)   新刊案内 (39)

意識の存在論と物質概念(下) 中野徹三(40)

大阪唯物論研究会哲学部会研究日誌(一九八四年六月~八五年五月)(48)

編集後記 平等文博(48)

 

第19/20合併号 一九八五年一二月一〇日

 

特集 廣松渉とマルクス主義哲学の新展開廣松渉とマルクス「唯物論」 田畑 稔(1)

『季報』編集について二、三 大井 正(21)

廣松渉『資本論の哲哲学』とマルクス物神性論 保井 温(22)

マルクスと経済―その可能性の所在  岡林 茂(29)

最近の日本思想界の焦点(その1)―岸田秀・丸山圭三郎・廣松渉など 山本晴義(36)
書評 『現代日本の宗教の―宗教イデオロギーへの批判視角』 大野光彦(44)

書評 吉野享『反聖畸人伝』 川崎彰彦(46)

ロンドン便り 細川真佐人(48)

プログラマーからの便り(2)ソフトQCに思う(下) 山輝和章(50)

資本主義社会と法制度についての覚え書 平石隆敏(52)

ハンガリーのルカーチ研究近況 丸山珪一(58)

「日本戦闘的無神論者同盟」研究資料旧論文再録に当たっての若干のコメント 秋沢修二(59)

組織問題における二、三の問題―組織晴動における原始主義の楊棄のために秋澤修二(60)

編集後記 笹田利光(64)

 

第21号 一九八六年四月二〇日

 

特集〈天皇制〉を哲学する大阪哲学学校パネルディスカッション 編集部(1)

宗教批判としての天皇制問題 桑原重夫(2)

古代天皇制の実像―最近の古代史研究から 藤田友治(4)

近代天皇制と日本の思想 大井 正(6)

三枝博音と日本唯物論史―「気」一元論の評価を中心に 笠井 忠(10) 新刊案内  (18)

永田広志研究雑感 本村四郎(19)

「渡し舟の国」から ブダペスト書簡・一九八五年一〇月~八六年三月 丸山珪一(22)

ハイデッガー 大井 正(27)

キャンベラ・一九八六年三月 川口 章(28)

新刊紹介 大井正『ヘーゲル学派とキリスト教』 田畑 稔(29)

「真理」概念について 木村倫幸(30)

編集後記 平等文博(36)

 

第22/23合併号 一九八六年九月二五日

 

特集 現代天皇制をめぐる思想の攻防「日本学」再興―上山春平批判 山本晴義(1)

「人間天皇」制破壊の論理 笠井 忠(11)

象徴と天皇―イデオロギー分析 田畑 稔(23)

研究ノート―戦後天皇制を考えるために 平等文博(38)

大阪哲学学校パネルディスカッション―若干の論点 (44)  新刊案内 (10)
シベリア抑留生活体験を語る 砂場 徹(45)

唯物論的ヒューマニスト―太田典礼氏を偲ぶ 秋沢修二(49)

書評 山口氏康『ヒロシマもう一つの顔』 兼井 享(53)

哲学学校と懐徳堂と永田広志 クラウス・クラハト(56)

官僚の街キャンベラ 川口 章(57)

《批判3》哲学と学校 鷲田小彌太(58)

中国における三木哲学研究の近況 卞 崇道(60)

偶像崇拝とヒューマニズム―エーリッヒ・フロムの宗教心理学の問題点 保井 温(62)

大阪唯物論研究会哲学部会研究日誌(一九八五年七月~八六年九月)(54)

「マルクスを読む」に御参加下さい 大阪哲学学校(55)

編集後記 田畑 稔(68)

 

 

第24号 一九八七年三月三〇日

 

 特集 唯物論の新しい波翻訳と紹介 O・ブロックと唯物論の現代的諸動向 平等文博(1)

マルクスとエコロジー―コヴァルツィークとインムラーの論争について 服部健二(8)

M・ブンゲの「創発主義的唯物論」―生理学的唯物論の現代的展開 山輝和章(13)

カントと「心の物質性」の問題 ―ドイツ観念論哲学における「唯物論」問題(上) 田畑 稔(15)
中国哲学界の現状 卞 崇道(25)

柿岡先生追想 田畑 稔(29)柿岡時正論文リスト(一九八一年以降)             (44)

《批判4》ポスト・モダン批判の「陥穽」 鷲田小彌太(30)

著者が語る『人間観の転換―マルクス物神性論批判』 保井 温(32)

古代史における宗教問題と天皇家―大井正先生の御質問に答えて 藤田友治(34)

シベリア抑留生活体験を語る(2) 砂場 徹(38)

プロレタリアートの政治 ―マルクス主義の実践へのアルチュセールの理論的寄与 細野雅彦(45)

大阪哲学学校 一九八七年度カリキュラム (47)   

編集後記 平等文博(52)