バックナンバー総目次49号~69号(1冊¥1200(送料別))

 

第49/50合併号 一九九四年八月二〇日

 

梟vs.雄鶏 乱歩の闇は何処に―江戸川乱歩生誕百年に寄せて 木村倫幸(1)
インタビュー 実践本体論を唱える劉綱紀(武漢大学)氏に聞く物質的自然世界を基礎としたヒューマニズムの哲学 劉綱紀/聞き手 山口 勇(5)

コメント マルクス哲学思想の再興をめざした交流をもとめて 山口 勇(14)
マルクスの過渡期社会像(2) 大薮龍介(19)

禅と〈世界文化〉―新しい唯物論のイメージ 高根英博(38)

 

追悼・舩山信一

兄信一の思い出 舩山謙次(64)父からの、叔父信一の話 舩山達郎(74)

田辺元氏の相談 石堂清倫(78)唯物論研究会と地方の活動 赤松啓介(79)

55年前の執筆依頼 水田 洋(83)フィロソフィアの道 清水正徳(84)

インテリゲンチァ・舩山信一 西川富雄(88)舩山信一先生と私 岩井忠熊(93)

舩山さんの問題提起 山本晴義(95)大衆的現実の如実知見 鈴木 正(98)

舩山先生逝く 小山 忠(101)舩山信一先生と中国  滕 頴(102)

生涯の恩師、私の舩山先生 酒井道子(106)剛毅木訥 梅川邦夫(109)

舩山信一先生へ 藤田友治(111)舩山先生の思い出 服部健二(116)

舩山哲学と私 保井 温(121)永田広志と舩山信一 本村四郎(124)

それでも「転向」について 稲岡義郎(126)

 

書評 田畑 稔『マルクスとアソシエーション』 大石高久(42)

   舩山信一『ひとすじの道―唯物論哲学者の自分史』 田畑 稔(45)

   細谷 実『性別秩序の世界』 伊田広行(48)

   森 宏一『一九世紀ロシアにおけるユートピア社会主義思想』 横田三郎(55)

   布村一夫『正倉院籍帳の研究』 石原通子(57)

   大沢在昌『新宿鮫』シリーズ 木村倫幸(61)
新刊案内 (129) 大阪唯物論研究会哲学部会日誌(130) 編集後記  田畑 稔(131)

 

第51/52合併号 一九九五年二月二〇日

 

梟vs.雄鶏 よみがえるH・アーレントの政治哲学 宇仁宏幸(1)

 

日中哲学誌上討論

日中哲学誌上討論の展開に向けて―論争の整理と問題の提起 山口 勇(5)

中国マルクス主義哲学研究者からの手紙 兪伍金/肖前/劉綱紀/高清海/李徳順(23)

実践観点の超越性について 高 清海(31)マルクス主義哲学の世界観と本体論 盂 憲忠(39)
インタビュー  戦後マルクス主義と実践の哲学   山本晴義/聞き手 稲岡義朗(47)

禅と唯物論―市川白弦の「解放の禅学」 高根英博(61)

トピックス 大河内清輝君の自殺に寄せて―〈学校〉の揚棄のために  児玉ひかる(68)

 

廣松 渉 追悼

廣松さん追悼 山本晴義(72)残された問い 山口 協(74)

四肢構造の〈限界〉―『存在と意味』第2巻を読んで 田畑 稔(76)

 

書評 R・ゾルゲ『二つの危機と政治』 柴山健太郎(81)

   高田 純『承認と自由―ヘーゲル実践哲学の再構成』 木村倫幸(85)

   鈴木 正『日本近現代思想の群像』 田畑 稔(87)

   高村 薫『照柿』 木村倫幸(89)

研究論文ヘーゲル市民社会論における伝統と近代―福祉行政・職業団体の倫理的機能 藤井哲郎(92)

同時刻の相対性をめぐる諸問題    村山 章(106)
舩山信一執筆一覧 (120)

九四年度総会報告  (119)  新刊案内 (136)  編集後記  田畑 稔(157)

 

第53/54合併号 一九九五年八月五日

 

梟vs.雄鶏 泡立つ妄想の行方―麻原・黙示録の愚劣 笹田利光(1)

 

日中哲学討論

マルクス主義思想の現代的展開と哲学原理論争 島崎 隆(5)

中国における実践的唯物論 韓 立新(20)中国からの手紙   劉鋼紀(19)/陳志尚(33)

 

社会主義像再探求

或る社会主義思想家の転回―中野徹三『社会主義像の転回』を読む 上島 武(34)

田畑稔氏のアソシエーション論によせて 服部健二(43)

『マルクスとアソシエーション』への共感と疑問 片田幹雄(51)

マルクスの過渡期社会像(3) 大薮龍介(62)

 

書評 山本晴義『現代思想の稜線』 芝田進午(70)

   石井/島崎 編『意識と世界のフィロソフィー〈私〉はいまどこにいるのか』 木村倫幸(74)

   伊田広行『性差別と資本制』 細谷 実(77)M・ミースほか『世界システムと女性』 細谷

   実(82)

   松田 博/鈴木富久 編著『グラムシ思想のポリフォニー』 山下東彦(85)

   柴田/河上/石塚編『神の再読と自然の再読―いまなぜフォイエルバッハか』 稲岡義朗        (88)

   工藤喜作/桜井直文編『スピノザと政治的なもの』 宇仁宏幸(92)

   J・モンテイロ『日本的霊性からの解放―信仰と歴史認識・菩提心の否定と浄土真宗』 高根

   英博(95)
インタビュー ドブロリューボフ翻訳三〇年 横田三郎/聞き手 田畑 稔(97)

田畑稔『マルクスとアソシエーション』/山本晴義『現代思想の稜線』の二著を読んで  鈴木 正(103)

一五周年祝賀会とエンゲルス没後100年    山本晴義(109)

トピックス 日本公共建築批判―阪神大震災を省みて    児玉ひかる(113)

エッセイ 禅と戦後五〇年―戦後文学からの問いかけ 高根英博(121)
舩山信一資料研究資料 舩山信一『河北新報』論説表題一覧     (127)
「舩山信一執筆一覧」への補足訂正  (133)解題 知られざる舩山信一氏の労作 藤田友治(134)
大阪哲学学校へのご案内(73)/大阪唯物論研究会哲学部会一五周年記念集会   (112)

活動日誌(一九九四年八月~九五年七月)(142)/ 新刊案内(143)

季報『唯物論研究』案内 (144) 編集後記  田畑 稔(145)

 

第55号 宇仁宏幸責任編集 一九九五年一二月二〇日

 

宗教の危機と現代

梟vs.雄鶏 宗教法人と二つの権力の問題 平等文博(1)

「科学から宗教へ」と叫ばれる時代の科学 高橋準二(5)

「解放の神学」の世界観―ボフ「主の祈り」を中心に 石崎恵二(18)

ミネルヴァの梟は暗黒の夜に甦るか―「オウム問題」と「哲学ブーム」の行方  児玉ひかる(32)
アソシエーション論の系譜 シスモンディとアソシアション 岡久啓一(39)

 

日中哲学誌上討論

実践論のマルクス主義哲学における位置    黄楠森/山口 勇訳(54)

中国からの手紙 劉福森/劉綱紀/黄楠森(64)

訳者解説 黄楠森論文および劉福森書簡について 山口 勇(67)

哲学に対するマルクスの関係(上)―東ドイツ哲学の歴史的検証 田畑 稔(69)

 

書評 やすいゆたか『歴史の危機―歴史終焉論を超えて』  捧 堅二(81)

杉原四郎/降旗節雄/大薮龍介編『エンゲルスと現代』 小林昌人(87)

尾関周二/後藤道夫/佐藤和夫編『ラディカルに哲学する』全5巻 木村倫幸(90)
討論「実践の転覆」は誤訳か―グラムシ拙論への批判に応えて 鈴木富久(98)
編集部への手紙 萩原中のことなど 石堂清倫(101)
研究論文 方法と真理―『存在と時間』〈基礎存在論〉の展開における現象学の基礎付けをめぐって 山口 協(102)
季報『唯物論研究』案内 (120) 新刊案内 (121)

大阪哲学学校運営委員会 大阪哲学学校の改組について (122) 編集後記  宇仁宏幸(125)

 

 

第56/57合併号 一九九六年四月三〇日

 

梟vs.雄鳥 当為の自惚れ 服部健二(1)
現代家族を哲学する

現代家族と社会福祉 大野光彦(5)家族の宿命論の展開(ノート) 羽田直也(16)

シングル単位社会の構想 伊田広行(23)

現代の家族と男性―伊田広行氏と小浜逸郎氏の主張をめぐって 細谷 実(38)

ドキュマン「確信犯? シングルの会」―あるフェミニズム運動の顛末と総括(上) 児玉ひかる(42)
思想の検証と新たな構想新しい社会思想史のためのプログラム 山本晴義(55)

資料 グラムシ『獄中ノート』のなかのエンゲルス   石堂清倫編訳(59)

マルクスの過渡期社会像(4) 大薮龍介(64)
日中哲学誌上討論

哲学に対するマルクスの関係(中)マルクスと哲学―四つの基本モデル 田畑 稔(86)
書評 Y・ゴルデル『ソフィーの世界』  やもりたろう(115)

   現代思想研究会編『知識人の天皇観 天皇制の内圧を問う』    高根英博(117)

   D・フォーガチ編『グラムシ・リーダー』/Α・ナトーリ『アンティゴネと囚われ人』       松田 博(121)

   T・カーバー『マルクスとエンゲルスとの知的関係』     大石高久(124)

   鈴木正/王守華編『戦後日本の哲学者』    木村倫幸(127)

   石井伸男『転形期における知識人の闘い方―甦る花田清輝』   中西新太郎(133)

   やすいゆたか『歴史の危機―歴史終焉論を超えて』    藤田友治(136)
研究論文 生産農業共同組合の可能性―農業問題を考える(1)    関口敦男(139)
新刊案内 (153) 季報『唯物論研究』案内 (154) 編集後記  稲岡義朗(155)

 

第58号 服部健二責任編集 一九九八年一〇月二〇日 

 

梟vs.雄鶏 新生・季報『唯物論研究』と私の抱負 田畑 稔(1)
フランクフルト学派とその周辺

フランクフルト学派との対話―自然史の観念をめぐるノート 服部健二(5)

ヨーロッパ近代の問題―ヘーゲルとハーバーマス 土屋敬二(26)

ブロッホ哲学における物自体 小田智敏(43)

ベンヤミンの傍らで「唯物論」を練り上げること    小倉虫太郎(62)

マックス・ヴェバーは伝統的理論家か?  ―ホルクハイマーのヴェーバー社会科学批判をめぐって 尾場瀬一郎(74)
梯 明秀 追悼

 追悼 梯 明秀 服部健二(92)梯先生の死を悼む―梯哲学の遺したもの 西川冨雄(94)

梯 明秀先生のこと―高田三郎先生に叱られた話    清水正徳(108)

梯 明秀教授との想い出など    和田八束(114)梯 哲学の魅力 許 萬元(120)

座談会 梯先生の思い出梅川邦夫(司会)/やすいゆたか/服部健二/藤田友治(124)

梯 明秀略年譜および著書一覧 作成 服部健二(151)
曽根正哉追悼追悼

 田畑 稔(154)追悼 曽根正哉    本村四郎(154)曽根正哉君の回想    木村 亨(155)四畳半の粋―曽根正哉さんのこと   片岡 健(157)

曽根老の絶交宣言…  にしかわしん(158)曽根正哉の生涯    本村四郎(160)
思想史再読 近代市民社会形成期の思想―対話「近代思想史」第1回    山本晴義(163)

グラムシ・ノートにおけるエンゲルスの存在    石堂清倫(178)
書評 大谷/大西/山口編著『ソ連「社会主義」とは何だったのか』   山口 勇(182)

       寺木伸明『被差別部落の起源―近世政治起源説の再生』    堀部恵司(195)

   木村英雄『教師の目から見た戦後史』    梅川邦夫(197)
コラム 情報化社会とメディア文化 メディア・リテラシーの現在 やもりたろう(202)
新刊案内 (204)/活動日誌(一九九五年八月~九六年九月)(205)

季報『唯物論研究』刊行会規約 (207)/季報『唯物論研究』案内 (209)

編集後記   服部健二(210)

 

 

第59号 一九九七年一月三〇日

 

梟vs.雄鶏 大阪哲学学校一〇周年にあたって 平等文博(1)
特集 現代世界論の展開へ

歴史的総体としての現代世界・覚書 田畑 稔(5)

地球環境危機と経済・倫理問題 高橋準二(25)

資本蓄積に対抗する「自由の構成」―現代世界の分析に向けて 宇仁宏幸(44)

民主化と民主主義論の地平―フランシス・フクヤマ批判 捧 堅二(52)
特集 日中哲学誌上論争

マルクス「哲学」をどうとらえるか―「日中哲学誌上討論」の新たな展開をめざして 山口 勇(85)

マルクスの新しい唯物論的世界観の本質および特徴    劉福森(101)

手紙 劉福森/劉栄華訳(116)

マルクス主義哲学の主題と体系の特徴 楊耕/韓立新・山口 勇訳(118)

手紙  楊耕(128)異なる二つの史的唯物論概念 兪吾金/山口 勇訳(130)

批判と回答(上)マルクス主義哲学に対する私の理解・再説 劉綱紀/山口 勇訳(141)
書評 上島 武『ソ連崩壊史』 中野徹三(154)

       小宮山量平(談)聞き手/鈴木正・渡辺雅男『戦後精神の行くえ』 木村倫幸 (161)

   深江 浩『漱石の二〇世紀』    田中邦夫(164)

       荒 岱介『ハイデガー解釈』    山口 協(168)

       大阪哲学学校編著『「ソフィーの世界」の世界』    義積弘幸(173)
論文 

 丸山眞男と日本の「政治思想」 蘆田東一(176)

台湾人のアイデンティティー―「記憶」をめぐる闘争としての「二・二八事件」 小倉虫太郎(189) 

追悼・エッセー・コラム・ドキュメント追悼 原光雄氏のこと―辰巳経世をめぐって 本村四郎(197)

宮沢賢治と宗教―生誕100年に 関口敦夫(200)

『ソフィーの世界』・北欧・女流哲学 橋本直樹(203)

選挙と「偽りのリアリティー」―コラム 情報化社会とメディア文化  やもりたろう(206)

ドキュマン「確信犯?シングルの会」―あるフェミニズム運動の顛末と総括(下) 児玉ひかる(208)
新刊案内 (222)/季報『唯物論研究』案内(223)編集後記 山口 協(224)

 

 

第60号 丸山珪一責任編集 一九九七年四月三〇日

 

梟vs.雄鶏 新生・大阪唯物論研究会哲学部会―哲学と生活現場の結合をめざして 木村倫幸(1)
特集 ルカーチと現代

特集リード 丸山珪一(6)

ルカーチ・アンケートルカーチの意義とセゲド・ルカーチ・サークル サボー・ティボル(7)

反時代的思想家ルカーチ シクライ・ラースロー(9)

今日ルカーチは私たちにとって何を意味するか ? テーケイ・フェレンツ(11)

メドゥーサの鏡としての『存在論』 伊藤成彦(13)最初のルカーチ 小田切秀雄(15)

G・ルカーチの歴史哲学 平井俊彦(17)ルカーチとのかかわり 北條元一(19)

ルカーチは何であったか 水田 洋(23)晩年の「存在論」について 山本晴義(26)

論文「社会主義」の崩壊とルカーチ―「ブダペスト学派」の歩みから考える 丸山珪一(31)

ルカーチにおける政治と倫理―社会主義的民主化論への軌跡によせて 早川弘道(46)

日本の文学批評にとってのルカーチ―昭和一〇年代を中心に 深江 浩(67)

翻訳ルカーチとスターリン主義 バイエル・ヨージェフ/丸山珪一訳(90)

哲学者の社会的責任 ゲオルク・ルカーチ/加納武訳(108)
書評 J・ヒルシュ『資本主義にオルタナティヴはないのか』 宇仁宏幸(129)

   大薮龍介『マルクス社会主義像の転換』  加藤哲郎(131)

   福岡賢正『国が川を壊す理由』    稲岡義朗(135)

   M・ソーテ『ソクラテスのカフェ』   児玉ひかる(140)

   鶴見和子『内発的発展論の展開』    木村倫幸(148)

   対馬忠行『クレムリンの神話』    上島 武(153)
yuiken言いたい放題  対話する 堀本秀生(163)

更池フィールドワークに参加して 宮前泰雄(165)

無責任ジャーナリズムの責任―情報化社会とメディア文化考 やもりたろう(166)
講演・論文・ブックレビュー

 愛(フィロ)はなにに向かったか―『ソフィーの世界』の読者像 池田香代子(169)

《現代世界を読み解くキー・ブックス》R・ドーキンス『利己的な遺伝子』―二〇世紀生物学と人間理解(上) 高橋準二(180)

発展倫理学―現代社会発展に必須なもの   劉福森・孫忠梅/山口文江訳(197)

産業資本主義時代の思想(1)「対話 社会思想史」第2回 J・S・ミルを中心に 山本晴義(202)
定期購読料金改訂のお知らせ (211)新刊案内(212)季報『唯物論研究』案内 (213)

編集後記   丸山珪一(214)

 

 

第61号 一九九七年月三〇日

 

梟vs.雄鶏 「踏みとどまる」思想へ―杉浦明平氏の肖像に寄せて 山口 協(1)
アソシエーションの理論と実践

特集リード 田畑 稔(6)私のアソシエーション研究史―理論から実証へ 佐藤慶幸(8)

政治的多元主義とアソシエイション―ポール・ハーストの政治理論 捧 堅二(23)

アソシエーション・労働・自治論ノート 羽田直也(44)

〈グラムシとアソシエーション〉に関する覚書 松田 博(55)

マルクスのアソシエーション論をめぐって 大薮龍介(61)

アソシエーション視点の発展を 村岡 到(67)

マルクス左派のアソシアシオン論 石塚正英(73)

アソシアシオン・個体的所有・貨幣 植村邦彦(80)

改良と革命―ミルとマルクス再論 杉原四郎(86)

ミル・アソシエーション論の示唆するもの 武田信照(92)

アソシエーショニズム―アメリカ社会学思想史の一節として 宇賀 博(98)

アソシエーション社会の基礎 阿部文明(105)

日常生活世界とアソシエーション 田畑 稔(121)
書評 M・A・マナコルダ『グラムシにおける教育原理―アメリカニズムと順応主義』 松田 博(130)

室伏志畔『伊勢神宮の向こう側』    藤田友治(133)

熊野勝之『奪われた「居住の権利」―阪神大震災と国際人権規約』 堀本秀生(136)

藤田友治と天皇陵研究会『古代天皇陵をめぐる』      やすいゆたか(138)
yuiken言いたい放題 ペルー人質事件について 西山 覚(142)

エヴァに見る他者不在のドラマ 町口哲生(143)

平井俊彦『物象化とコミュニケーション』を読んで 宮前泰雄(145)

共通の言語の発見 堀本秀生(148)
講演・ブックレビュー・論文

 ウンベルト・エーコ―新しい哲学の実験  ピノ・マラス(150)

《現代世界を読み解くキー・ブックス》 J・モノー『偶然と必然』―二〇世紀生物学と人間理解(下) 高橋準二(166)

産業主義の思想(2)「対話 近代思想史」第3回 J・S・ミルを中心に ―コント、スペンサーと「アメリカ思想史」  山本晴義(181) 

日中哲学誌上討論疎外論と実践的唯物論―日中哲学誌上討論に寄せて 田上孝一(189)

批判と回答―マルクス主義哲学に対する私の理解・再説(下)劉綱紀/山口 勇訳(204)
新刊案内 (220) お詫びと訂正  (221)季報『唯物論研究』案内 (222)

編集後記     田畑 稔(223)

 

 

第62号 やすいゆたか/石塚正英責任編集 一九九七年一〇月三一日

 

梟vs.雄鶏 情報化と労働組合の再生 宇仁宏幸(1)
フェティシズム論のブティック

 特集リード   やすいゆたか(5)対談・フェティシズム論の可能性 石塚正英/やすいゆたか(7)フェティシズム、この堪え難きこと 杉本 宏(26)

モードにおけるフェティシズム―あるいはアンチモードの試み   町口哲生(42)

管理の二重性論と物神性論―「批判的経営学」批判 篠原三郎(58)

物象化と物神崇拝の関係 田上考一(69)

二〇世紀末の日本においてマルクス思想を省察する―疎外論・フェティシズム論・物象化論にふれて 西田照見(81)

フランクフルト学派と物象化論の系譜 竹内真澄(95)

フェティシズム論参考文献目録    石塚正英(やすいゆたか補訂)(109)
小特集・神戸連続小学生殺害事件

現代思想の鬼子としての酒鬼薔薇 やすいゆたか(116)酒鬼薔薇聖斗の誕生と死 藤田友治(117)
yuiken言いたい放題 哲学なき国家植民地    清凉信泰(120)

デヴィット・リンチ『ロスト・ハイウェイ』―欲望する諸機械による反乱  町口哲生(122)

情報化社会とメディア文化―大名ジャーナリズムとゴキブリジャーナリズム  やもりたろう(124) 空想力   堀本秀生(129) 『資本論』を読んで   宮前泰雄(131)
書評 河上睦子『フォイエルバッハと現代』    服部健二(134)

   島崎 隆『ポスト・マルクス主義の思想と方法』    尾関周二(137)

   田口冨久治/鈴木一人『グローバリゼーションと国民国家』    木村倫幸(140)

   滝澤武人『人間イエス』    堀本秀生(143)
日中哲学誌上討論

日中哲学誌上討論に寄せて―中国における哲学討論の紹介を中心に 劉奔/山口 勇訳(147)

「文化の市場化」をめぐって―中国思想文化界における論争とその意義劉奔/山口 勇訳(151)
アソシエーションの理論と実践マルクスのパラダイム転換 元田厚生(168)
産業資本主義の思想(3)「対話 近代思想史」第4回 ニーチェを中心に 山本晴義(180)
新刊案内 (192)/活動日誌(一九九六年一〇月~九七年九月)(193)

季報『唯物論研究』案内 (195)/編集後記    やすいゆたか(196)

 

 

第63号 一九九八年一月三一日

 

梟vs.雄鶏 新しい年に向かって―グラムシ・シンポに参加して 山本晴義(1)
緊急アピール

ネグリ釈放のための署名運動に協力を呼びかけます!宇仁宏幸/田畑 稔/中原隆幸(5)

特集 「自由民主主義」を超える民主主義

大衆社会の再収縮と自由民主主義の岐路―市場と民主主義の矛盾 後藤道夫(9)

地域における民主主義の可能性―グローバルとローカルの交点で 白川真澄(26)

近代国家再考―ポスト冷戦時代の政治理論のために 捧 堅二(41)

外国人参政権という問題(1)―主権的国民国家と民主主義 山口 協(61)

深化・拡大する欧州統合と欧州社会民主主義の挑戦 柴山健太郎(73)

日本における社会民主主義の現在と可能性 松本弘也(91)
現代世界論の展開へ(第2回)現代文明の未来―現代世界論へのラフ・スケッチ 高橋準二(141)資本蓄積の危機と新たなレギュラシオンの構成 宇仁宏幸(167)
書評 

日本社会教育学会編『ボランティア・ネットワーキング―生涯学習と市民社会』木村倫幸(103)

野沢 尚『破線のマリス』 木村倫幸(106)山崎仁礼男『蘇我王国論』 藤田友治(109)

大石高久『マルクス全体像の解明』 山本広太郎(112)
yuiken言いたい放題 終わり(目的)無き闘争としての唯物論   町口哲生(115)

人間が住む 堀本秀生(119) ヒュパティアの生涯と思想―最初の女流哲学者 橋本直樹(121)
論文・報告 大阪哲学学校講演報告「鎌倉新仏教の衝撃・1」 高根英博(125)

横浜事件―人権を返せ!の闘い 木村 亨(136)

「いじめ」とスピノザ 石崎恵二(180)

プリゴジンと自己組織化の発現―カオスからコスモスへ    酒井久一(198)
新刊案内 (212) / 大阪哲学学校のページ   (213)季報『唯物論研究』案内(214)

編集後記   田畑 稔(215)

 

 

第64号 一九九八年四月三〇日

 

梟vs.雄鶏 唯物論が当たり前になった社会での唯物論の課題 高橋準二(1)
特集 グラムシ・リシンキング

『獄中ノート』のトータルな把握への一試み―『獄中ノート』のトポグラフィー 片桐 薫(6)

全ての人間は知識人である―グラムシ知識人論の射程 松田 博(18)

グラムシのモラル哲学原理 サボー・ティボル/丸山珪一訳(30)

史的唯物論の原問題としての「人間性」―グラムシとマルクス 鈴木富久(37)

グラムシとルカーチ―反実証主義的マルクス主義に向けて ミハエル・レーヴィ/石堂清倫訳(54)マンガ・グラムシ 高根英博(68)

集団意志と「神道」の二重奏―グラムシの思想的断章から 鈴木 正(86

グラムシとアメリカ思想―グラムシ遍歴素描 山本晴義(97)

「西方の陣地戦」再考・序論 いいだもも(107)

グラムシの「国民-民衆」について―フランス革命後の時代と現代 中島健二(133)

グラムシ研究における文化の問題―没後六〇周年に際しての覚え書 黒沢惟昭(147)

美華への手紙―グラムシの知的モラル的ヘゲモニーについて 藤田友治(161)

対談 グラムシ特集の余白で「実践=哲学」を練り上げること(1)小倉虫太郎/町口哲生(176)

 

「疑う権利」と民主主義―鶴見俊輔論への試み 木村倫幸(189)
書評 『現代思想』一九九七年一〇月号「特集/ブラック・カルチャー」 町口哲生(202)

   伊田広行『樹木の時間―もう鼻血もでねぇ!』 町口哲生(205)

   いいだもも『二〇世紀の〈社会主義〉とは何であったか』 堀本秀生(208)
大阪哲学学校のページ (67)新刊案内(211)季報『唯物論研究』案内 (212)

編集後記  山本晴義(213)

 

 

第65号 一九九八年七月三一日

 

梟vs.雄鶏 ヴァチカンと進化論―あるいは脳と心のラプソディー? 笹田利光(1)
特集 唯物論のアクチュアリティー

唯物論はどこへ進む 対談 田畑 稔/高橋準二(6)

脳と心と唯物論 高橋準二(19)

いかなる意味で「唯物論のアクチュアリー」を語るべきか 田畑 稔(42)

フランクフルト学派と唯物論の展望 藤野 寛(62)

救済なき時代を唯物論的に生きろ!―文化の中のさまざまな唯物論 高根英博(74)

yuiken言いたい放題

富と自由と時間について―ボードリヤール『消費社会の神話と構造』評注平野 啓(88)

旅行記 法然と讃岐 稲岡義朗(94)クラスノヤルスクからの手紙 元春智裕(98)

連載【古今従来】第一回 「昨今の私」と「アソシエーション」   笠井 忠(100)
日中哲学誌上討論

この道はいつか来た国―中日哲学誌上討論の一層の発展のために  岩淵慶一(105)
真面目  堀本秀生(122)

対談 

グラムシ特集の余白で「実践=哲学」を練り上げること(2) 小倉虫太郎/町口哲生(136)

エロイーズとアベラール―中世の女流哲学者 橋本直樹(147)
書評 高村薫『レディ・ジョーカー』 (上・下) 木村倫幸(152)

   社会主義理論学会編『二〇世紀社会主義の意味を問う』 木村倫幸(155)

   栗木安延『アメリカ自動車産業の労使関係』 宇仁宏幸(159)
大阪哲学学校のページ (162)季報『唯物論研究』案内 (163)新刊案内 (164)

編集後記 山口 協(165)

 

 

第66号 町口哲生責任編集 一九九八年一〇月三一日

 

梟vs.雄鶏 電子メディア三題話  山口 協(1)
特集・電子メディアと身体のゆくえ

メディア・アクティヴィストとは誰か? ―私は日本においてメディア・アクティヴィストという用語を使うことに責任を持ちたい   上野俊哉/町口哲生訳(6)

頭を失った知覚―ベンヤミンのメディア論についての一考察 酒井隆史(17)

「戦争の欲望―欲望の戦争」覚え書き 小倉虫太郎(29)

インタヴュー ダメディアラボ 浅野智明/聞き手 町口哲生・小倉虫太郎(39)

「心臓」と「シンゾウ」―移植の臓器民俗学 小林昌廣(53)

NOT FOUND―電子メディア世代の身体をめぐるデッサン 田川とも子(65)

ハイパーメディア―映画、ビデオ、デジタル・メディアにおけるノン・リニアーな思考と創造    ラインハルト・W・ヴォルフ/町口哲生訳(76

インタヴュー Without-TV 土屋豊/聞き手 町口哲生・小倉虫太郎(83)
yuiken言いたい放題

旅行記 四万十川の流れに沿って 稲岡義朗(96)

山本晴義『対話近代思想史』出版記念シンポジウムに寄せて 町口哲生(100)

宗教の似合う人 義積弘幸(103)

論文

地方政府と市民自治(覚え書き) 羽田直也(105)

哲学教育・研究の新しい理念―現在ロシア哲学事情 第1回 元春智裕(112)

「外からの眼」と民主主義―鶴見俊輔論への試み(その2) 木村倫幸(122)
書評 元田厚生『経済学のパラダイム・チェインジ』 平野厚生(134)

   河野直践『産消混合型協同組合―消費者と農業の新しい関係』 関口敦男(136)

   現代思想研究会編『知識人の宗教観』/袴谷憲昭『法然と明恵―日本仏教思想史序論』 高根   英博(140)

   田中邦夫『二葉亭四迷「浮雲」の成立』     深江 浩(145)

   石塚正英/やすいゆたか『フェティシズム論のブティック』 町口哲生(148)

大阪哲学学校のページ (152) 新刊案内  (153)季報案内 (154) 

編集後記  町口哲生(155)

 

 

第67号 松田博責任編集号 一九九九年二月二八日

 

梟vs.雄鶏 つながりあう生命 平等文博(1)
特集 グラムシ『獄中ノート』校訂版研究

『獄中ノート』校訂版研究の意義と課題 松田 博(8)グラムシの唯物論批判 田畑 稔(21)

初版『獄中ノート』の「限界と不都合さ」とは何か 小原耕一(33)

グラムシ『獄中ノート』フランス語完訳版についての覚え書き 深澤 敦(51)

グラムシにおける歴史主義の形成―Q7哲学メモの展開(1) 川上恵江(59)

「理論化の過程」とそれを支える「論理」―自分にとってのグラムシを考える鮫島京一(68)

ヘゲモニーと教育・研究序説―グラムシの教育論研究のための予備的考察黒沢惟昭(83)
yuiken言いたい放題

古往今来 第2回 藤田喜作校長―わが青年期への回想 笠井 忠(99)

〈神〉と私 義積弘幸(108)
論文・翻訳

舩山信一 卞 崇道/楊育新・藤田美代子訳/藤田友治・山口協監修(110)

博学のタワッドド―幻の女流哲学者 橋本直樹(124)

家族―障害児学級にたずさわって見えてくるもの ―障害児をもつ家族をとおして家族のかかえる問題を考える  南 徹夫(129)
書評 武田信照『株式会社像の転回』   杉原四郎(146)

   ロイ・A・メドヴェージェフ著『一九一七年のロシア革命』 津田道夫(149)

   宇仁宏幸『構造変化と資本蓄積』   中原隆幸(152)

   ジャン・ボードリヤール『完全犯罪』  町口哲生(157)
新刊案内 (160) 大阪哲学学校のページ  (161)季報『唯物論研究』案内 (162)

編集後記   松田 博(163)

 

 

第68号 一九九九年五月三一日

 

梟vs.雄鶏 思想的課題としての久野収氏 山口 協(1)
特集 アソシエーションの理論と実践    リード 「アソシエーショナルな革命」とは 田畑 稔(6)試練の中の協同組合運動と直面する課題 丸山茂樹(8)過渡期とアソシエーション 大藪龍介(21)「人民の家」の現在とアソシエーション 松田 博(31)

P・ハーストのアソシエィティヴ・デモクラシー論 形野清貴(43)

「連帯する」ということについて 石田嘉幸(71)

マルクス主義とアソシエーション  W・F・ハウク/田畑稔訳(91)

アソシエーション関連文献リスト      作成 田畑稔(103)

yuiken言いたい放題  「ピオネールは夏に収容所で過ごします」    元春智裕(107)

『共産党宣言』と私    義積弘幸(108)
グラムシ『獄中ノート』校訂版研究

 グラムシ『獄中ノート』校訂版研究特集を読んで    鈴木富久(110)

グラムシにおける歴史主義の形成―Q7哲学メモの展開(2)    川上恵江(119)
論文

エリザベートとクリスティナ―デカルトの世紀の女流哲学者    橋本直樹(127)

ロシアにおけるユーラシア主義について(上)現在ロシア哲学事情 第2回  元春智裕(133)

発達論からみた精神病理―ワロンを参考にして    平野 啓(151)
書評 平澤是曠『哲学者 菅孝治』    木村倫幸(166)

捧/宇仁/高橋/田畑『二一世紀入門』    泊 寛二(169)

山本耕一『権力―社会的威力・イデオロギー・人間生態系』    日山紀彦(171)

城間哲雄『部落解放史論集』    宮前泰雄(175)
大阪哲学学校のページ (177) 新刊案内  (178)季報『唯物論研究』案内 (179

編集後記   田畑 稔(180)

 

 

第69号 高根英博責任編集 一九九九年八月三一日

 

梟vs.雄鶏 他者が皆、吾より愚者に見える日は… 田畑 稔(1)
特集リード ニッポン・イデオロギー―新世紀ヤプーたちのたくらみ 高根英博(5)

侵略イデオロギーと実践的に対決しうる唯物論を! キム・チョンミ(10)

対談 ジャパン・イデオロギー批判 大越愛子/(聞き手)小倉虫太郎/町口哲生(24)

上野千鶴子とフェミニズムのゆくえ 近藤和子(43)

笠井潔論―全共闘世代のマルクス葬送からスキー的思考まで 高根英博(56)

「偏差値」と儒教イデオロギー―「日本的」現象と儒教イデオロギーやもりたろう(69)
論文

「対話・現代アメリカ思想」のためのプログラム 山本晴義(75)

「まともさの感覚」の民主主義について―鶴見俊輔論 木村倫幸(81)

マルチン・ブーバーにおける「対話の社会学」 島崎 隆(93)

社会主義・官僚主義・マルクス疎外論―西田論文にたいする反批判 岩淵慶一(109)

自然の弁証法と弁証法の真正性  ミラディン・ジヴォティチ/田上孝一訳(132)

グラムシ『獄中ノート』校訂版研究について―鈴木富久氏のコメントによせて 松田 博(145)

ロシアにおけるユーラシア主義について(下)―現在ロシア哲学事情 第3回元春智裕(153)

美しき魂の告白―ゲーテが描いた女流哲学者    橋本直樹(164)

 書評阿満利麿『法然を読む』    稲岡義朗(167)

やすいゆたか『キリスト教とカニバリズム』    結城慎次(170)

黒沢惟昭『市民社会と生涯学習―自分史の中に「教育」を読む    藤田友治(172)
編集部からのお詫び (166)  大阪哲学学校のページ  (175)     新刊案内 (176)

編集後記    高根英博(177)